はじめに

本プロジェクトを通して、点群編集の一部を請け負ってきた。撮影した点群データを誤差の少ないように組み合わせ、余計なものは取り除く。特に人間は大概動いていて、スキャンするとノイズとして残ってしまうから、編集の段階で積極的に取り除くことにしている。多くが単調な作業であるがゆえに、辛抱強く行わなければならない。

編集を粗方終えたあと、点検も兼ねて点群データを見て回るのだが、そこには人気のまったくない、なんとも奇妙な風景が広がっている。都市とそこに生きる人びととの関係を「<上演 performance>と<観客 / 演者=役>の関係として把握」するならば、それは演者のいない舞台装置と言えるだろうか。しかし舞台が上演されることはなく、そこから出来事は失われているように見える。

言うまでもなく、都市はそこに住む生活者がいなければ成立しない。そんな静止した情報空間で、都市のコンテクストを読み取り、その上に重ねるように望ましい未来を考えることは可能だろうか。点群データはそのためのツールとなり得るだろうか。

ここでは都市のコンテクストを構成するものとして見落とされがちな"出来事"を手がかりに、点群データにおいて発見されたオブジェクトを観察することでそれを掘り起こす。またその一連の過程を経て、取得される点群データの活用方法について検討する。

都市のコンテクストと実践

都市のコンテクストには様々なものがあり、究極的にはその都市に存在するものすべてにおいてそう説明することができるかもしれない。その中で特に建築学においては、人口動態から街区の構造、その土地の歴史などを読み取り、新しく空間を立ち上げる際の参照点にする。そういったコンテクストのひとつに生活者、そしてそれらが主体となって起きる出来事がある。

なんとも捉えがたいが、20世紀のフランスの歴史家であるミシェル・ド・セルトーは『日常的実践のポイエティーク』の中で上と下という対比を用いて、2種類の出来事のありようを明らかにしている。ひとつは都市計画などによる権力や規制によって、上から一望せんがために為される「戦略」に基づく実践(例えば横断歩道を信号に従って渡るようなこと)。もうひとつは下のほうで都市を歩き回り、秩序の中で隙を突くようにして「なんとかやっていく」民衆的な「戦術」に基づく実践である(例えば横断歩道の白線だけを使って渡るような遊び)。

特に後者は捉えづらく、とぎれとぎれであるが、一方で社会の力学に対抗する可能性を秘めていると考えられる。果たしてこれらを捉えることはできるだろうか、そしてその主体は誰だろうか。

実践を捉えるために

戦術に基づく実践を捉えるには、検討すべき課題が大きく2つあると思われる。ひとつはコンテクストを捉え、プランを策定するのが優秀な建築家やデザイナーに偏っていること、そしてもうひとつは、そもそも当事者であっても戦術に基づく実践を捉えるのが困難であるということである。

前者は先に述べた通り、実践とはそれぞれがとぎれとぎれに行うことで、常に生成と消滅を繰り返すから、捉えるのが難しい。それでも優秀な建築家やデザイナーは、接触できる数少ない実践からボトルネックを掬い取り、見事な遠投力によって望むべき未来を提案する。しかしより個別性を保ったまま、そのままコンテクストを立ち上げることは可能か、つまるところ私たちにできることはもうないのか、ということについては議論の余地があるだろう。

後者は事前に、実践する主体と環境とが存在論的デザインの関係にある点について注意する必要がある。アルトゥーロ・エスコバルが『多元世界に向けたデザイン』で示すように、存在論的デザインとは、デザインしたモノによってデザインしかえされる、という見方のことで、例として、インスタグラムによってユーザーがインスタ映えのために行動するようにデザインし返されることなどが挙げられる。これを都市と実践に引き付けて説明すると、「都市によって十分にデザインされた生活者は、わざわざそれに抵抗するような戦術に基づく実践をしなくなっていく」ということができる。

実践の形跡を探す点群観察

ここまでで論じてきたように、既存の計画を超えてとぎれとぎれに発生する出来事は、都市のコンテクストをより多様なものにする可能性がある一方で、それゆえに捉えるのが困難である。発生してはたちまち消えてしまう実践、どこかにその形跡が残っていて、それを見つけ、正しく解釈することが出来さえすれば、私たちが接触できる実践も増えるかもしれない。そしてそのツールとして点群データを使うことができるのではないか。

建築学における点群データはこれまで、ビジュアライズの手法や、耐用年数などの関係で、物理空間には残すことが難しい建築物のデジタルアーカイブなどに活用され、近年では構造部材を特定・分類することによる保存・改修計画への活用も研究されている。

今回は、都市計画と戦術に基づく実践の形跡を、遠敷地区に建つ町家である清右ヱ門の主機能と、そこにあるオブジェクトに還元して考え、点群データの観察を通して建築物の主機能(計画)から外れたオブジェクト(実践の形跡)を探した。

清右ヱ門は機能としてまちの集会所のような役割を持ち、内部は人が集まった際に対応できるような家具が置かれているほか、行事で使われるような荷物が置かれている。そのようにして内部を観察していくと、あるじょうろと植木鉢が置かれているのを見つけた。これらは人が集まったときに機能する家具とは言えない。とすれば行事のために使われる何らかの道具である可能性もあるだろうが、この町家が意図しない方法で使われた可能性もあるだろう。

おわりに

これらの観察を通して、点群の有用性と観察の難しさについてまとめる。まずこれらの観察において、点群は網羅的に空間情報を取得できるため、主観的な発見や記録の偏りを減らすことができると考えられる。また複数回記録することで、時系列的な差異を読み取ることも容易である。一方で、実践した主体が不明の状態では、解釈が分析者に依存してしまうため改善の余地がある。

これまで出来事に注目した状況論的アプローチに点群データを用いた主だった研究はないが、それによって都市に埋め込まれた実践を掘り起こすことができれば、点群データのさらなる活用の可能性が開かれると考えられる。